さきほど大阪から戻りました。

梅田から1時間ちょっとの場所へ移動する必要があり、それはそれは電車を乗り継いでの小旅行。
訪問した先では、とにかく今年、がんばりましょう。
ということを伝えたいだけの訪問だった。

先方に、それは伝わったのかどうか。
でも、やはり決断のスピードというものは、本当にビジネスにおいて重要なことだと改めて感じる。

リスクはどんなときにもつきまとう。
普通に生活していても、突然の災害に見舞われることもある(という極端な考えもある)
何か特殊なこと、新たなチャレンジをしようと思えば思うほど、想定される以上のリスクはあるものだ。

それをどこまで自分の中で想定して仮説をたてておくか。
それが「何か」がおきたときに納得いく行動にうつせるか。
ということにつながると思う。

帰途、新幹線が急に徐行したりしはじめた。
小田原を通過した時点で知らされた事実は、静岡駅で人身事故がおきたために徐行運転を断続的におこなっているということだった。
今改めてニュースをみると、事故自体は4時46分に事故以来運転再開するということになっていたらしい。
なぜJRはその事実をすぐさま乗客に伝えないのか?
不思議に思いながら、ユーザの立場である私の考えと、JRの立場にたった自分のあるべき考えを交差させていた。

そんな中で、昨日は六本木ヒルズの回転ドアの云々の報道が久しぶりにあった。
回転ドアの前に横たわる男の子と、そのお母さんのあの惨状を目の当たりにしていた私を思い出した。

時間が何事もかきけせるかというと、まったくそんなことはない。
当事者であるご両親はもちろんのこと、あの現場の記憶は私は一生忘れられないものだ。
うちのメールサーバの不調で、メールがみれないならお茶でも飲もうか。と思って、LL階のスタバにいった私は、この事件に吸い寄せられた。
もしも神様がいるのであれば、何かを私に知らしめるためにあの場所に呼び寄せられたのだろう。としか思えない。

近いところに立ち尽くしていた人々から発せられた「言葉」。
今でも、亡くなった男の子のお母さんが血まみれになった腕時計をぬぐう、そしてとめどなく泣きじゃくっていた、その光景が目にやきついて離れない。

これをいうと、

「黒坂さん、お子さんもったから他人事と思えなくて、そう思うようになったんでしょう?」

と、コメントする人が何人もある。

私は単に子供であろうが、老人であろうが、なんらかのアクシデントが起きた際にそれにむかってただの傍観者として立ちすくし、この先どうなっていくんだろう?というだけでいることができないだけであり、どんなときでも、何かがおきたときでも、自分に直接関係ないものであればあるほど、「当事者意識」が強くなる自分がいることを再確認するのみだ。