この肩書きが欲しくて欲しくてしょうがなく、そのためだけに突進する人が多い模様。


資金力があれば、まずは簡単に手にいれられる、この肩書き。

でも、手に入れたと思ったはいいが、その肩書きを思うように使いこなせない人も多いようだ。


私はこの肩書きを捨ててから早、数年が経過します。


捨てたというよりは、瞬間最大風速だ。としか自分の中で思っていなかったからこそ、

社会の中の今の私が存続していたりすると思うのです。


今日も話をしました。


どれだけ自分の身を切り刻めるか。

どれだけ切り込み続けられるか。

そして

どれだけ身内に信頼をおいて、まかせて、いられるか。


すごくおおざつぱな書き方だけれども、

わりと誰しもがほしがる社長という肩書き。

この重みというものは、やり方の違いはあるにせよ、

何かを犠牲にしなくてはならない「何か」が存在するものと思います。


今の私は、慈善事業として、いろんな人たちの役にたつべく

そして

ドライな判断の数々を撒き散らすべく日々稼動しています。


こんな私でも今すぐにでも小さな「社長」にはなりえるけれども

あえてそれを避けているかのようにすごす毎日。


そんな中でも、社長という肩書きを手にする人らには、

本当の意味での責任の重さを改めて知って欲しいといいたい。


少しでも運用資金を。

少しでも利益を。

と考えお財布と相談しあって資金繰りする、本来あるべき姿とかけはなれた

「社長」たちの多い今。


今改めて思い出します。


「社長するなら、どれだけ金だせる?」


その言葉。

明日自分の生活がどうなるかまったく保障のない日々。

そんな中でも、自分の資金となりえるいお金をつっこんで事業に真摯に立ち向かう。

これができそうでできない。

女の私でもかなり躊躇した。

大の男ども、がんばれ。


自分のお金を切り刻むことなく、事業のドライブさえ考えればどうにかなる世界の中での「社長」という肩書き。


できないのであれば、早くスタッフに戻ろう。